ヲシテ文献から
【日本の始まり】
【コヨミ】
【寿命】
【カンタカラ(神宝)】
【ヒトの成り立ち】
【結婚など】
【日本の始まり】
この地球上にクニトコタチがトコヨクニ作りました。
クニトコタチは八人の御子を各方面に遣わしてクニを治めさせました。
八人の御子は、ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メのクニキミとなり、クニサツチを名乗りました。
この中の「ト」が日本の始まりとみるのが順当な解釈です。
「ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ」
聞き覚えのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
「三種の祓い(三種の大祓(みくさのおおはらへ))」と呼ばれる祓い詞の一部ですね。
「ト・ホ・カ・ミ・エ・ミ・タ・メ」
と聞いた方もいるかもしれませんが、おそらホツマツタヱのヒが元々の音ではないかと思われます。
ヱは、歴史的仮名遣(旧仮名遣)です。第二次世界大戦の後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)がやってきて「現代かなづかい」が告示されてから使われなくなりました。
さて、クニトコタチの後を兄のヱノミコトと弟のトノミコトが引き継ぎ、即位は相互に行われました。
通常、兄のヱノミコトから「ヱ・ヒ・タ・メ・ト・ホ・カ・ミ」と八人を呼ぶのが自然ですが、なぜ弟のトノミコトを先に呼ぶのでしょう?
それは八人を季節に当てはめたさい、ヱは冬に、トは夏に定められました。
夏こそ人々の活動するエネルギーの蓄えられる季節として最も尊重されます。
ゆえに「ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ」と、トを先に称するようになったのです。
「ト」が南の意味は、「タの東から太陽が昇りだんだんと物が見えてきます。頂点、南ではみんな見えるようになるのでミナミえる(みんな見える)」ので南です。
なので「ヱ」は北になります。
ト:南
ホ:東北
カ:西
ミ:東南
ヱ:北
ヒ:西南
タ:東
メ:西北
また、「ト」の教えが中心原理となったのでこの順番になったという説もあります。
この「ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ」ですが、
フトマニ図を順番になぞると『八芒星』(オクタグラム)が浮かび上がります。
【コヨミ】
初代アマカミのクニトコタチから十二代アマカミのウガヤフキアハセズ(神武天皇の父)まではマサカキコヨミによって記述されています。
マサカキという樹木の枝の伸びを計ります。
一本のマサカキが枯れたのを1スズ、6万年として数えますが、実際の絶対年数とは必ずしも一致していません。
マサカキの樹が五十一本目をもって絶滅し、マサカキコヨミを用いられていた時代をカミノヨ(上代)と呼びます。
次にヒトノヨになりますが、使用されたのがアススコヨミです。
アヅサ(梓)の木に彫りつけて年数を数えまので、こちらの場合基本的に絶対年数の計算と同じで私たちにもわかりやすいです。
しかしアススコヨミは八四三年、ヲシテ文献の記述終わりにともない終了してしまいます。
それが私たちになじみのある西暦でいうと、だいたい西暦190~320年ぐらいでないかとの考察がありますが不明です。
【寿命】
●アメナカヌシ(ミナカヌシともいう)の時代
一千万年(マサカキコヨミで数えた)
●四代アマカミのウビチニ時代
百万年(マサカキコヨミで数えた)
●六代アマカミのオモタル時代
八万年(マサカキコヨミで数えた)
だいぶ寿命が短くなってますが、生活苦から犯罪が増え、罪人を斬って治める事になったのでこれも原因かもしれません。
【カンタカラ(神宝)】
縄文時代前期にトコヨクニという名で、日本の祖形ができあがり、”文化立国”あるいは”恵民立国”の理念を根拠に据えていました。
初代アマカミはクニトコタチ。
この時代は栗やドングリを主食としていましたが、貯蔵したとしても半年ほどしか品質を保ちえません。
飢え死にする人も多かったであろうと推測できます。
ゆえに人々は助け合わないと生きてゆけない時代でした。
やがて水田稲作技術の発展によって食に関しては豊かになっていきます。
六代アマカミのオモタル・カシコネの時代になると、
世相が一変し、かつて人々は助け合い、進んで他人のために何かをしてあげていましたが略奪集団が発生し出しました。
豊かな者とそうでない者の差がつき始めたのです。
水田稲作により、一年を通じての食料備蓄が可能になり、人々は飢えから開放されましたが、新たな問題が湧き起こったのです。
略奪をするような悪い者は処罰しなければなりません。
これらの時代の背景を物語っている出来事として、カンタカラの追加があります。
これまで治国のカンタカラは『トノヲシテ(タマ)』のみでしたが、
七代アマカミとなるイサナギ・イサナミには、『トノヲシテ』と合わせて『サカホコ(剣)』が授与されました。
サカホコの”サカ”は逆らうの意味。
サカホコの”ホコ”はホコロバス(亡ぼす)の意味。
『トノヲシテ』には恵の意味があり、『サカホコ』にはマツリ(政り)を妨害する者たちへの処罰の意味があるということです。
さらに八代アマカミとなるアマテル(天照大御神)はこの二種のカンタカラに『カガミ』を追加し、三種の神器(ミクサタカラ)としました。
アマテルの時代に大きな騒乱が起きたのです。
それをハタレの乱といいます。
七十万人もの人が起こした大規模な騒乱でした。
飢えから開放はされるが他人を見て幸福比べをしてしまい、羨ましく思い、あげくのはてにはそれを奪ってしまいたいと思ってしまう。
人の幸せというものは物質的に豊かになっても万全というものではない。
『自我の確立』なくして本来的な幸せの実感は不可能なのだと悟り、人々に真実の幸せをもたらしたいと強く願い、カンタカラにカガミを追加しました。
略奪等のおこないにより命を縮めた人々が多くいた不幸を考え、国民の幸せはそれら騒乱の発生を未然に防ぐことが重要であるとしたのです。
そもそもハタレとなった者たちの心が曲がっていたことはそうですが、大規模なハタレの乱にまで拡大してしまった原因の一つは、一般の国民の心がハタレたちに惑わされやすかったこともあるのです。
人の心の中心をカガミとして表現し、すべての人々の心に自立心が育つようにと強く願い、ヤタノカガミと銘名しました。
心の中心のナカゴに、正しさと自立心を磨き、確立していくことこそ人として最も重要だと考えました。
ここで諸外国、とくに西洋社会と今日の我々日本人が付き合うにおいて、考えなくてはならないことがあります。
それは、その歴史を考慮する必要があるということです。
戦略を基礎として人々と社交する国々と違い、私たち日本は何千年もの昔から恵み和しを基礎としているのです。
日本と他国では、もう、まったく根本的に違うのだという認識がなければいけない。
それを理解したうえで付き合い、交渉する必要があるのです。
【ヒトの成り立ち】タマシヰ(タマシイ・魂)
アメミヲヤの創始したアモトから、ヒトのタマが降されます。
そしてクニタマ(地球)からいできたシヰ(シイ)とが、タマノヲによって結び付けられて、ヒトの心が形成されます。
ヒトの心(ヰクラ)はタマとシヰとタマノヲの三要素から形成されてゆきます。
心(ヰクラ)の中身は、
”ココロバ”、”ミヤビ”、”タマ”、”シム”、”シヰ”の五つのクラ。
これは五元素に由来すします。
宇宙を構成する元素の五つ
1、ウツホ(空)
2、カゼ(カゼ)
3、ホ(火、日)
4、ミヅ(水)
5、ハニ(土)
それぞれ、ウツホはココロバ、カゼはミヤビ、・・・に相当しています。
【結婚など】
◆トツギノミチ
日本建国当初(トコクニヨ)、結婚というものは存在していませんでした。
建国から三千年あまり、四代目アマカミのウビチニ・スビチニの時代に至ってはじめて結婚制度がおきました。
それまでは群婚のようなものであったと考えられています。
特定のカップルに定まらなかったのです。
飢えが人々を脅かしていた時代、どうやって種族を存続させるかが大事でした。
細かい好き嫌いなど言っていられない時代でした。
そこに稲作耕作という大発展が起きました。
飢えるという問題が激減し、好き嫌い、美醜、また、富の多さについても、個人が選別できる余裕ができました。
さらには土地の継承問題という新たな問題への解決にも、結婚制度は必要だったであろうと思われます。
それは『イセノミチ(イエ制度)』に繋がります。
◆イセノミチ(イエ制度)
イセノミチは八代アマカミのアマテルによって創られました。
食などの生活変化により制度が大きく変わった時代でした。
イエと中心に、ひとつの社会ができました。
当主の男性が中心となり生業をし、家計を成立させます。
妻は家の内の仕事を行います。
そして子に後継していきます。
ちなみに、
男女それぞれ分担がありますがしかし、男とか女とか性別の差は区別であって、どちらが優位というものはありませんでした。
男も女もヒトとして同一で、タマとシヰの構造に変わりはありません。
ひとりひとりが大宇宙の縮図としての小宇宙なのです。